切なくなる程に青

 

切なくなる程に青。

 

 

 

敏夫は空港から、送迎のバスに乗り込み。レンタカーを借りていた。緑色のデミオだった。

 

 

 

「あ、前と一緒だ…。」

 

 

 

前回沖縄に来た時も同じ色のデミオだった。

 

 

 

敏夫はレンタカーの車内に乗り込み、ひとしきり車の操作に関してレクチャーを受けると、そろそろと駐車場をでた。東京で沖縄用にと買っていたCDをセットした。

 

 

 

目的地は既にナビに設定してあり、市内の渋滞を抜け高速道路に乗っていた。高速を降りて30分程走ると目的地、渡久地港だ。そしてそこからフェリーに乗り水納島(みんなじま)に向かう。敏夫は付近の駐車場に車を留めて往復のフェリーの券を買いに向かった。

 

 

 

「あ、」

 

 

 

敏夫は声にならない声をあげた。

 

 

 

(前と違う…。)

 

 

 

以前にも敏夫はこの港に来た事があるのだが、その時はこんなに綺麗な建物は無かった。敏夫は少し落胆しながらもその平屋だが、空調の利いた真新しい建物に入っていった。

 

 

 

(あ、すぐに船が来る、ついてるな。)

 

 

 

敏夫は券を買うと船着場に急いだ。

 

 

 

(良かった。)

 

 

 

船は以前に来た時と何も変化が無かった。新しくも古くも無いが、船室に入るとひんやりとクーラーが利いていた。そこはツアー客や家族連れ、そしてカップルばかりで敏夫のように一人で島に向かう人は他には居なかった。敏夫は一度は船室に入ったが潮風に当たる方が盛り上がるだろうと再度その船室からでて、デッキで居場所を確保した。ここから水納島までおよそ15分、決して寛げる旅ではないが、

 

それでも南国気分は満喫出来た。島に着くと、まずは無料のビーチパラソルを借りて、

 

まだそれ程人の居ないビーチにそのパラソルを突き刺し、今日一日の仮住いの環境を整えた。そこに腰をおろすと途中のコンビにで買ったオリオンビールを、我慢が出来ずに350m缶を一気に飲み干した。

 

 

 

敏夫は2年前の学生時代にもこの水納島に来ていた。

 

ただしその時は朋子と一緒だった。

 

 

 

…「トシ~、ね、見て魚が沢山一杯。」

 

 

 

「凄いな!な、早くそのパンで餌付けしてみようよ。」

 

 

 

「うん、でもこれって魚肉ソーセージも入ってるし、共食いだよね。」

 

 

 

「ほんとだ。でも気にしない気にしない。」

 

 

 

二人はその餌を細かくちぎって水中に蒔いてみた。大小、そして色とりどりの魚達がその

 

ちぎったパンのかけらを目掛けて突進してくる。

 

そして大きな魚とは目が合い。もっとくれよと催促される。そんな状況だった。

 

 

 

浜に戻ると監視員が

 

 

 

「魚凄かったでしょ?ニモも居るよ。でも銛を持っていくと逃げちゃうんだ。」

 

 

 

と笑って教えてくれた。二人は驚き感動し、そして一日、水納島を満喫した。

 

 

 

気付くと敏夫は少し寝ていたらしい。パラソルの下なので、日焼けは大して

 

していなかったが、日陰からはみ出た足は既に日焼けしていた。3本目のビール、

 

これも一息で飲み干せそうだが、そこは我慢してゆっくり味わった。勿論暑いのだが、それが不思議と不快ではなく、汗をかけば、目の前の海に飛び込めばいいだけだ。

 

 

 

今回の旅は前回と違い、俊夫は一人だった。

 

 

 

「一人は寂しいな。」

 

 

 

敏夫はふとそう思った。するとその時敏夫の脳裏にこんな言葉が浮かび上がる。

 

 

 

「一人じゃないよ、私はそこに居るよ。」

 

 

 

敏夫はがばっと身を起こした。そして周囲を見渡した。当然朋子は居なかった。

 

諦めて横になろうとした時に砂の中から、少し顔を出した珊瑚のかけらが目に入った。

 

それはアルファベットの「T」のような形をしていた。

 

 

 

「ね、トシ、見て見て、これをティーみたいじゃない?敏夫と朋子のTだ。これ記念に持って帰ろう。」

 

 

 

「そんなのただの珊瑚じゃんか。」

 

 

 

朋子の顔が一瞬曇った。

 

 

 

「じゃ、水納島にはこれから毎年連れてきてくれる?」

 

「え?」(結構ツアー料金高いのにな~)

 

 

 

「毎年は無理かもしれないけど、2年に一回ならなんとかな。」

 

 

 

「本当~?」

 

 

 

朋子は交渉に勝ったと勝ち誇るかのように満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

「それなら次来た時もこの珊瑚に逢えるように深く埋めとこ!監視員さんの台の右横のこの場所、これが定位置ね。」

 

 

 

「馬鹿だな、潮の満ちひきだってあるし、それこそ台風だって東京の比じゃないんだぞ、そんなの流されちゃうに決まってるだろう?」

 

 

 

「だって~」

 

朋子は泣き出しそうだった。

 

 

 

「わ、分かったよ。じゃ深く埋めとこうよ。」

 

 

 

「うん。」

 

 

 

…そして敏夫はその珊瑚を砂から取り上げてみた。紛れも無くあの珊瑚だった。敏夫は少し涙目になりながら、涙をこぼすまいと空を見上げた。2年前のあの時と変わらず空は青く東京では見た事のない綺麗な、水色より少し濃く澄んだ空だった。

 

 

 

(朋子、約束は果たしたからな。)

 

 

 

敏夫はその珊瑚をディパックに詰め込み、残ったビールを飲み干した。そしてまた海に勢い良く飛び込んだ。あの時と何も変わらぬ空と海の青さは敏夫を優しく包み込んだ。

 

 

 

 

デーツの実がくれた物

 

デーツの実がくれた物

 

 

 

僕は、もう心底嫌になっていた。大学の講義も、それから親の小言、そして彼女の我が儘にもだ。だが単位はぎりぎりだ、いつものルーチンワークであるかのように僕は学校に向かう。きっと周りから見たら死人が歩いているようだろう。それは自分でも把握している。だが大学に最寄の駅で彼女は待っている。そんな僕の憂鬱なんてどこ

 

ふく風だ。

 

 

 

「おはよう!元気?ゆずね~今日は結構ハッピーだよ。」

 

 

 

何が彼女をこんな気持ちにさせるんだろう。僕には到底理解出来ない。

 

 

 

「え?まあまあかな…。」

 

 

 

「急ごっ!時間ぎりぎりだよ。」

 

5分遅刻してもあの先生なら大丈夫、大したことにはならないだろう。)

 

 

 

「まだ、大丈夫だよ。ゆっくり行こう。」

 

 

 

「う、うん…。」

 

僕らは、きょろきょろ落ち着きなく周囲に視線を配るゆずと、背中を丸めのっそりと歩く僕とで不似合いなカップルに映ったに違いない。少なくとも町の景観には溶け込んでいない筈だった。

 

 

 

校内に入り、目的の教室に僕らは向かったが、僕はふと何気なくある場所に視線を送った。それは廊下の掲示板だった。

 

 

 

『君もアフリカに行って見ないか?君らを迎えるゲストは、必ず君らに何かを与えてくれる。』

 

 

 

それはそのキャッチコピーだけをみれば明らかに怪しかった、才能の無いコピーライターの考えだろう。だが僕はそれでもその後の文面を立ち止まり見ていた。それはエチオピアにボランティアとしてお手伝いにいく体験ツアーの案内で、どうやら学生限定のようだった。

 

 

 

「もう、一貴、行こう!本当に遅れるよ。」

 

 

 

「あ、あぁ。」

 

 

 

「それじゃ、皆揃ったね?このエチオピアが内戦状態ではないとは言っても単独行動はとらないように、また基本的には僕の言う指示に従ってもらうよ。」

 

 

 

と今回のツアーのガイドが皆に説明を始めた。大都市アジスアベベから一歩外にでれば、スラム街、そこもすぐに通り過ぎあとはサバンナを車は走った。そして空港から約4時間、TOYOTAのワゴンに揺られ、僕らは現地に着いた。途中スライドドアが何回も開き、最初は窓際の子は落ちそうになっていた。現地のドライバーだろうか?ケラケラと笑っていた。これが当たり前らしい。

 

 

 

今回の僕の目的は農耕に適さない荒地を皆で耕し、穀物を植えて帰ることだ。

 

「それでは皆は既に聞いているとは思うが、共同生活をしてもらう。夜は少し寒いけどシャワーは無いから水を汲んで掛けて欲しい。こっちは1週間や2週間お風呂に入らなくても大丈夫だけど、君たちはそうはいかないよね?だからこちらの方々がご好意で用意してくれたよ。だから文句言わず使う事。分かったね?」

 

 

 

今回のツアーは4人が男、1名だけ女の子が居たのだが、その子は一瞬でもむくれるのかな?と見ていたが流石にこのツアーに参加するだけあって、つわものらしい。はい!と誰よりも大きな声で返事をしていた。

 

 

 

当日の夜、僕らは、地元の方々の歓迎を受け東京の味付けからすると物足りないが、現地の方に言わせると滅多に食べられないというご馳走を食べていた。そんな食事で顔を引きつらせていると、僕を見つめる視線に気付いた。彼は多分6歳前後か、大きな目をした男の子だった。僕は自然とその子のもとに近づいた。出来る限りの笑顔を作って。

 

 

 

彼の名はマモというらしい。僕は当初旧宗主国でもあるイタリア語で挨拶してみたが、実は片言だが英語の方が伝わった。それから五日間、僕はマモとのボディランゲージも含めた会話を楽しんだ。昼間の作業中は高地ということもあり、それ程熱くはなかったがそれでも畑仕事は汗をかいた。それは東京でかく汗とは違っていた。自分の汗を気持ち悪く感じないのだ。マモも汗を書いていた。近くの井戸まで水汲みに行った帰りだと言っていた。マモと僕はそうやって少しずつだが仲良くなれた。

 

 

 

マオと出あってから三日目、マモは手の平に収まった一粒の実を見せてくれた。デーツの実というらしい。これを1日一粒ずつおやつとして親から貰っているそうだ。マモはそれを僕に見せてくれた後、それを大切そうにしまった。僕は何も感じなかったが、美味しいのかい?と聞くとマモは最高の笑顔でイエスと言った。

 

 

 

そんなマモとの五日間はあっというまに過ぎ、そして別れの日がやってきた。僕は正直朝から上手く言えないが機嫌が悪かった。一つの耕地を耕しスケジュールどおりに僕らはこなした。その達成感もあった、だが僕はマモと離れなくなかったのだ。荷仕度をすませ、僕らは五日間お世話になった宿を出た。玄関を出ると少し離れた所にマモは居た。既に目に涙を溜めていた。僕は大人なんだからここで泣いてはマモを更に泣かしてしまうと思い、初日より多少上手くなった笑顔で近づいた。マモは泣いていたが僕の顔を見ると涙を拭き、僕よりぎこちなく笑った。するとマモは、袋からデーツの実を三粒取り出して僕の手を取り、僕の手の平に乗せた。マモがこの実をどれ程楽しみにしていたか僕は知っている。

 

 

 

「ね~一貴今年の誕生日、どこのレストラン行く?美奈が麻布のレストランで美味しいお店あったって言ってたよ。そこにする?」

 

 

 

「私これ嫌いだから食べたくない。残してもいい?」

 

 

 

「ここクーラー利き過ぎ、夏なのに寒いよね?」

 

 

 

僕は堪らずマモを抱きしめた。抱擁したかった訳ではなく泣き顔をマモに見せたくなかったのだ。僕は日本語で

 

 

 

「ありがとう、ありがとうマモ。」と言った。

 

 

 

マモは僕の背中をさすってくれた。僕はマモに僕の居た証を持っていて欲しいと思ったので、ネックレスをマモの首に掛けた。マモはそのペンダントトップを握り締めていた。僕は行きと同じワゴンに乗り込んだ。もうマモは泣いていなかった。6歳とは思えない力強さを彼の表情に感じた。

 

 

 

村の皆は僕らのワゴンを追いかけてきてくれた。マモは一人その場で手を振っていた。僕は涙でかき消されまいとしきりに涙をTシャツで拭った。

 

 

 

あれから1ヶ月、デーツの実をくれた少年の話は僕の中では、今でも昨日のことのように覚えている。マモと僕は約束した。僕はまたマモに会いに来る。マモも必ず日本に来ると言ってくれた。僕は次に会う時はマモの前で恥ずかしくないように、日々を懸命に生きようと誓った。先が見えないからとやる気なく、何となく過ごすより、今をがむしゃらに生きてみたいと思ったからだ。

 

 

 

あとがき~このお話は、どこかのサイトからで見かけた話をもとにインスピレーションを受けて書きました。僕はこの話を読んでうるっときました、昨日この話を常連さんにもしたら彼女も何かしら感動したようです。そんなら皆でこの感動を共有しようと思ったのです。このマモ君の心の豊かさに僕らはかないません。豊かって何?と問いたくもなります。皆さんも何か感ずるものがありますように。

 

GIFT

 

GIFT

 

 

 

見るからに挙動不審な男が入って来た。年の頃は40中ほどだろうか?目はきょろきょろ周囲に絶えず注意を配り探っている。バイトの恭子ちゃんも気付いたようだ。

 

 

 

「店長、あのお客様何かおかしくないですか?」

 

 

 

「そうだね、一応バックヤードに電話の子機を持って待機していてくれないか?合図を出すまでは通報しなくてもいいからね、でももし僕に暴力をふるったとしたらすぐに通報してくれる?」

 

 

 

「はい。」

 

 

 

緊張した面持ちで彼女は小走りに裏の倉庫へ入っていった。

 

 

 

僕はとりあえず探りを入れてみることにしようと思ったが、相手の動きの方が一歩早かった。その男は懐に手を入れながらレジに歩み寄ってきた。僕は飛び道具で無ければいいな。と願った。

 

 

 

男はサッと胸から手を引き抜いた。

 

 

 

(良かったとりあえず、勝手には飛ばない、光り物だ。)

 

 

 

僕は不思議な安堵感を覚えた。だがそうそう安心ばかりもしれられないようだ。

 

 

 

「おい、レジの中のお金を出せ、早くしろ。」

 

チラッと恭子ちゃんを見た。電話しそうになってる。僕はまだと合図を送った。

 

 

 

「どうぞ、命をとられたら仕方がありませんからね。で、このレジ台に出せばいいですか?それとも…」

 

「いいからこの上に置け。」

 

 

 

と男はレジカウンターを指差した。僕は驚かしてはいけないと思い、適度に急ぎながらも機敏に動くようにはしなかった。そしてレジのお金を出した。そして男は1万円札等だけ握り締めポケットに入れ走り去ろうとした。

 

 

 

僕は

 

 

 

「待って!」と声を掛けた。

 

 

 

男は怪訝な顔をして振り向いた。

 

 

 

「困ってるんでしょ?僕の財布にもう少しあるからそれも持って行って下さい。それ程無いけど。ちょっと待ってくださいね。」

 

 

 

僕は男が立ち止まるのを見てから、バックヤードに行こうとした。

 

 

 

「ち、ちょっと待て、裏に入って通報するつもりではないのだろうな。」

 

 

 

と僕に確認した。

 

 

 

「そのつもりならとっくに通報しているよ。疑うなら一緒についてくればいい。」

 

と僕は手招きをして男を裏に案内した。バックヤードに入ると僕は通勤時に身につけているジャケットの中から財布を出し、財布の中の全ての小銭と1万円札を二枚、千円札を四枚手渡した。

 

「お前は馬鹿か?」

 

 

 

男は一通りお札を数えるとそう言い放った。僕はその言葉に驚き、はっ?と顔をしかめた。

 

 

 

「え、どうしてですか?」

 

 

 

「どうしてって、お前。俺は泥棒だぞ、その泥棒にレジのお金の他に自分の財布からもわざわざ手渡す奴が居るか?」

 

 

 

「目の前に居るじゃないですか。」

 

 

 

「じゃ~何故だ。なんで俺にお前は施すんだ。」

 

 

 

「だってオジサン困っているんでしょ?困っていなきゃ法を犯してまでこんなことしないよね。困った人は助けなさいって僕は教わったよ。」

 

 

 

「それじゃ答えにならん。納得がいかん。」

 

 

 

「そんな~。」

 

 

 

僕は困った。確かにこの男のいう事は間違いじゃない。僕は先ほどの説明以外にも男に施したくなる理由があった。僕がまだ小さかったある日、放課後にどろんこになり、一通り遊び終えて家に帰ると母が食卓に突っ伏し泣いていた。

 

 

 

「お母さんどうしたの?」

 

 

 

「ごめんね、お母さん動揺しちゃって。」

 

 

 

と言いながら母はエプロンで涙を拭った。

 

 

 

「実はね、一樹、お父さん遠くにいっちゃったの。」

 

 

 

「え、いつ帰ってくるの?」

 

 

 

「ううん、お父さんはもう帰ってこない。分かって、でもお父さんは一樹のことをず

 

っと見てるって言ってたから。」

 

結局父はその後帰って来なかった。父は自身が経営している会社の資金繰りに詰まり、母に遺書を残し樹海に向かったそうだ。その後お葬式のようなものはやった記憶がうっすらあった程度だが、それを父との別れの儀だと理解したのは随分と時が流れてからだ。

 

 

 

実はこの強盗も身なりはきれいで、きっとそれなりの地位にあった人に違いない。でも父のようにどうしようも無い事情があってこんなことをしているのだろう。だが、その僕のこの男にかける情けのような感情はきっとこの男のプライドを傷つけるに違いない。だが僕はこの男が父のように自ら死を選ぶ、それだけは何とかして防ぎたかった。苦し紛れに僕は嘘をついた。

 

「実は、僕はある意味前科者で、おじさんと同じようにコンビに強盗に入ろうとしたことがあるんです。でも僕は勇気が無くて出来なかった。おじさんと僕がオーバーラップしちゃうんだよね。おじさんにもきっと事情があるんでしょ。?」

 

 

 

「あぁ…。」と男は自身の境遇を語り始めた。

 

 

 

「会社がな~、もう駄目だ。俺に金を貸してくれるところはどこにもねぇ!でも家じゃ三歳になる息子と妻が待っている。飯もまともに食わしてやれねぇんだ。」

 

 

 

男の目にはうっすら涙が浮かんでいた。

 

 

 

「でもおじさん、良かったじゃない。僕みたいなのんきな奴が居るお店に入って。」

 

 

 

「そ、そうかもしんねぇな。」

 

 

 

男は大きな音を立てて鼻をすすった。

 

 

 

そこに警察官が二人扉をバタンと開けて入って来た。

 

 

 

「手を上げろ!」

 

 

 

警官は叫んだ。その刹那、男は反射的に近くに居た恭子ちゃんを後ろから抱きかかえ刃物を首に当てた。

 

「やめて!」

 

 

 

僕は叫んだ。恭子ちゃんは恐ろしさで声も出ないようだ。警官は銃を抜き男に銃口を向けている。

 

 

 

「おまわりさん、何しに入って来たの?」

 

 

 

「はい、強盗だと通報が入りました。」

 

 

 

「強盗?そんな人どこに居るの?あ~あのおじさん?近所の劇団の人に手伝ってもらって強盗が来た場合のロールプレイングで研修していたんです。おじさんもう演技しなくていいよ。この警官さんは本物だって、それ以上演技してると本物だと勘違いされるよ。」

 

 

 

と僕は目配せした。

 

 

 

男はそっと溜めていた息を吐き出しながら、恭子ちゃんの首に巻いていた手をほどいた。

 

「そ、それは失礼致しました。何分通報があると、年の瀬ですし物騒な世の中なものですから。」

 

 

 

「いえ、僕も誤解を招く事をしてしまってすみません。」

 

 

 

すると男は包丁を床に落とし、両手を警察官に差し出した。

 

 

 

「おまわりさん、俺は本当の強盗です。でもお兄さんの機転であぶなく最後の一線を越えずにすみました。」

 

男はポケットからレジの金を見せた。

 

 

 

「おじさん。」

 

 

 

僕はせっかくの機転が活かせなかったことを残念に思った。警官は不思議な顔をして僕を見た。僕は観念し苦虫を咬んだような顔で頷いた。

 

 

 

「おにいちゃん、ありがとうよ。」

 

バックヤードから手錠をされて出る時に振り返ったその瞬間、時間の流れがゆっくりと流れる様に変化した。スローモーションの様に男はこちらに首を回しながらニコッと僕に微笑んだ。険の取れた素直で柔らかな笑顔だった。

 

 

 

(お父さん!)

 

 

 

その笑顔に父の面影を見た気がした。

 

 

 

そういえば今日はクリスマス。プレゼントなのかもしれない。

 

 

 

親父からの手紙

 

親父からの手紙。

 

 

 

昨晩ポストを開けると珍しく、いや初めてだろうか親父(おやじ)から封書の手紙が入っていた。メモ書き程度を手渡されたことは勿論あったが、仕事場で毎日顔をあわしているのに、わざわざ手紙にするなんてのは余程のことかと少し心配になった。親父は昔から職人気質で無口、お客様の前では懸命に笑顔で武装するが、決して営業の上手な類には分類できない。増してや家族の中では気難しく口数の少ない親父はどちらかと言えば煙たがられていた。それをうまい言葉で表現するのなら威厳ってやつかもしれない。だが今では俺も別の所帯を持ち、仕事が終われば親父とは別の家に帰途につく、そんなおれも今では威厳を出そうと懸命な毎日だ。

 

 

 

親父とおれは、お店では仕事の段取り以外では余計な会話は皆無に等しかった。そんな親父から突然に封書の手紙が送られてきたのだから誰だってきっと面食らうだろう。

 

 

 

「遺書か?」

 

 

 

とさっと脳裏をよぎるがそれは無理やりかき消した。家に帰ると妻は夕食の仕度をしていた。妻はいつも俺が帰ると一日の出来事を堰を切ったように話し出す。俺は仕事場で毎日、喉がかれるまで話しをするのだから家では聞き役に徹しているしそれが心地よい。だが今日はその親父からの手紙の内容が気になり妻との会話はうわのそらだった。早々に食事をすませ、おれは風呂に入り、床につき封を開けた。

 

 

 

「数馬、突然の手紙できっと驚いているだろう。おれは口下手だからお前に何かを伝えたいと思ってもなかなか上手く伝えられない。下手すれば喧嘩になりそうになる。だからこういった形にさせてもらった。少し長いかもしれないが、疲れていない時、手隙の時に読んでもらえればいい、返事なんていらない。この手紙はただおれからお前数馬にどうしても伝えたいことがあったから書いただけで、数馬がどう捉えるかに興味は無い。ただ読んでくれるだけでいい。

 

数馬がおれの仕事を手伝いたいって言ってくれた日のことは今でも鮮明に覚えている。昔から人と話すのが好きで得意なお前は、きっと前職の営業職の方が給料も良かった。それなのに何故と思った。きっと誰も継がない、そう思っていたから年々やせ細っていく売上表を見ていながら、何とかしなくちゃなとは思っても、おれの命もあと何年続くのかな、そう考えると汚いお店を改装する気にもならなかった。

 

それだけにお前が継いでくれると言われた時は正直戸惑ったのが本音だ。おれはあと何年生きるのか分からない。それでもおれのお店には僅かばかりかもしれないがおれを頼りにしてくれる人が居る。おれより年上も居れば年下も居る。そんな常連さんは口々におれじゃなきゃ駄目だと言ってくれている。それは本当に有り難い。

 

だが困ることもある、それはやはりおれの今までの経験をお前に託ななきゃいけないし引き継がなきゃいけないんだが、それにどれ位の時間があるかおれ自身が分からないということだ。だから最近おれは少し焦っている。そのせいかお前に対する口の利きかたが少し乱暴になっていたかもしれない。それを本当にすまなく思っている。それは焦りからきていると分かって欲しいというのはおれの我が儘だろうか?

 

今ではおれは極力お前数馬の経営方針には口を出さないようにしている。失敗もしてみないと分からないこともあるだろう。だから店を潰さない程度には何度も失敗すればいい、おれも若い頃はよくミスをした。だがそのお陰で改善もできるのだろう。

 

今お前の成長仮定でおれが口を出す事はお前の成長するチャンスを逃してしまうことだろう。だがこれだけは聞いて欲しい。おれはお店を親父の代から受け継いで約50年、おれの親父、つまりお前のお爺さんだな、その先代からきつく言われたことがあり、おれもそれだけは守っていた。

 

これをお前が受け継ぐ必要があるのかどうかはお前自身で考えろ。おれのいう事は時代遅れかもしれないからな、士農工商って言葉は知っているだろう。昔は商人が一番下に見られていた。今もそうなのかは分からない。

 

だがおれは誇りをもってこの仕事を続けてきた。こんなに良い仕事は無いとも思っているし胸を張っている。それは、おれは常にお客様のことを一番に考えてきたからで、お客様に嘘は言わなかったことも一因かもしれない。

 

でもお前は違う、あれを嘘というのか巧みな営業トークというのかはおれにはわからない。でもお前が接客し終えたあとの表情が全てを物語っていないか?

 

お前は酷く疲れているだろう。おれは疲れることはあっても接客では疲れない。いや逆にお客様からいつも勇気と感動をいただき元気一杯になれる。

 

どうしたらお前がそうなれるのか?その答えはおれにはない。でも少なくともお客様ではなく自分自身に嘘を吐かなければあれ程には疲れないのではないのか?

 

どうか時間のある時に考えて欲しい。おれは接客方法を技術論では語れない。でも接客が楽しくて仕方が無い。お前にもそうなって欲しいと最近考えることが多くなり、つい手紙をかいちまったことを許してくれ。

 

 

 

息子よ、

 

 

 

胸を張れ、

 

 

 

目を見て話せ、

 

 

 

お客様を愛せ、

 

 

そして仕事は楽しむもんだ。

 

 

 

な、簡単だろう?これがお前のお爺さんから言われたことだ。おれはこれだけは忘れまいと毎日心がけた。最後は尻すぼみになるところをお前が助けてくれた。本当に感謝している。

 

だからこそ、このお店を続けて欲しい、その為にはおれの言ったことを一度咀嚼してみたらどうだろうか?今では時代遅れのじじいのいうことだ、一笑に付しても当然だしそれでもいい、だがどうしてもおれが言いたくなっただけのことだから気にするな。長いのを最後までありがとう。体を自分を大切にな。 父より」

 

 

 

「あら、あなたどうしたの?」

 

 

 

妻が薄明かりの中で涙しているおれを見て不審に思ったらしい。おれも涙を流していることに気付かなかった。

 

 

 

「い、いや親父が珍しく手紙なんてよこすもんだから…。」

 

 

 

「本当、初めてよね。」

 

 

 

そんなやりとりをしたあと、おれは丁寧に手紙を折りたたみ枕元に置き、布団に深くもぐりこんだ。目を開けても閉じても差の無いくらがりでおれは手紙の内容を思い返した。おれは前職でも接客だけには定評があり、自信もあった。おれの接客でのモットーはお客様を気分良くさせることだった。相手を喜ばせる為なら何でもいった、それは他人から見れば嘘というのかもしれない。

 

だがおれはそれを嘘といわず全て方便だと解釈していた。生きる為には仕方が無い、売上を上げる為にはどうしたらいいか?おやじから実質的には店を任されてから、親父の代より必ず栄えさせてやろうと意気込んでいた。それがいけないというのか?おれは焦った。おれはそういった接客スタイルを以前の上司に叩き込まれていた。時には疑問に感じ、質問すれば必ず、いいからやれよで片付けられていた。

 

 

 

そしていつしかおれも部下に同じことを言っていた。これが会社の方針だ、黙ってやれと…。だがそんな会社も業界では最大手だったが、競合他社に変革のスピードで負け、結局スクラップの繰り返し、規模は縮小していた。おれ自身の営業成績も右肩上がりだった時代は遠く過ぎ去り、成績を維持するためにあの手この手を使い、少なくなった顧客リストの中を積極的に駆けずり回った。

 

でもあの取り組みをおれは積極的にと言ったが、営業を掛けられる側にしてみれば執拗に、とならないだろうか?少なくともあの営業をおれ自身が受けたらドン引きだ。ドン引き?おれは誰の為に営業していたのだろうか?自分のためなのか?自分が生き残るのに懸命で顧客の利益を考えなかったというのか?そしてそれを爺さんの代から引き継いだあのお店でも繰り返していたということか?

 

 

 

おれはそんな考えがまとまらずにぐるぐる浮かんでは消えを繰り返したが、手紙から読み取れる親父の想いや配慮を察すると何度も涙があふれ出た。その夜は結局一睡

 

も出来なかった。そして答えも出ていなかった。

 

 

 

「いらっしゃいませ。」

 

 

 

今日一番のお客様におれは腫れた目で精一杯の笑顔を取り繕った。このお客様はご家族皆さんでうちを贔屓にしてくださる常連さんだ。

 

 

 

「今日はどうなさいましたか?」

 

 

おれはしっかりと目を見てお伺いしてみた。

 

 

 

「そうね先月は赤いのをいただいたから、今日は黒にしようかと思っているだけど…。」

 

 

 

おれは少し考えてからこう答えた。そして自分の姿勢を見ると少し前かがみになっているのに気付き少し胸を張ってみた。すると背筋がキュンと伸びると同時に僅かな背中の痛みを感じた。

 

 

 

「お客様、黒というお色目は、お客様の少し浅黒い肌には不向きかもしれません。それよりはこの緑のタイプはいかがでしょうか?これならお客様の茶色い髪とも綺麗にコーディネートできますよ。」

 

 

 

といつもならお客様が黒と言えば黒しか出さないおれが初めてお客様を否定し失礼な言葉をのたまってしまった。お客様はむっとするのかと思ったが、ニコッと笑った。

 

 

 

「あらそう、それなら緑のタイプを何タイプか見せてくださる。」

 

 

 

と言ってくださった。おれはいそいそと形の違うタイプを三種類持ってきた。

 

 

 

「一応、全て手にとってみて下さい。でも僕は一番手前に置いてあるこちらがお勧めです。」

 

 

 

と言い切ってみた。するとその常連さんは、

 

 

 

「あら本当、これだと自然ね~、有難う、これいただくわ。」

 

 

 

とすんなり決まった。綺麗に包み込みお客様に手提げ袋に入れた商品を手渡しお見送りした。

 

 

 

「ありがとうございました。」

 

 

 

おれは深々と頭を下げた。その時思いも寄らない言葉をおれは耳にした。

 

 

 

「数馬さん、あなた、お父様に似てきたわね。」

 

 

「え、そ、そうですか?」

 

 

 

瞬時に顔が赤くなるのを感じた。常連さんはクスッと笑って去っていった。後から母に聞いたのだが、親父はその時今まで見せたことの無い程の満面の笑みを見せたそうだ。

 

 

 

おれはその後一日姿勢を気にしながらの接客で、仕事が終わると少し背中に張りを感じた。親父とは手紙の件については何もやりとりせず、いつものように駅の改札で反対方向に分かれた。おれはコートを羽織った親父の後姿を何気なく見送った。

 

 

 

(あれ?親父の背中ってあんなにでかかったっけ?)

 

 

 

と親父の背負っているもの大きさに今更ながらに気付かされた。