「おい、しっかりしろ。」
薄暗い四畳半の和室で白髪の男は布団の中で寝込み息も絶え絶えだった。また付き添いの男は必死に看病している様だ。カーテンは半開き、照明もついていないので昼間にも関わらず部屋は薄暗かった。
「レイチェル、有難う。そろそろ俺はお迎えが来る様だ。お前と出会って本当にっ」
と言いかけて白髪の男は咳き込んだ。
「大した物は無いが、俺の私財全てはお前に譲ると書いた遺言がその引出に入っている。暮らしに困ったり東京に居られなくなった時の引っ越しや旅費に使ってくれ。」
「おい、何を言うんだ。まだお前は頑張れるだろう。お前が居なくなったら俺はどうしたらいいんだ。」
看病していた男は、黒々とした髪が白髪の男に対して
そのコントラストで異彩を放っていた。黒髪の男はその白髪の男の手を握った。
「頼む、お前が居たから俺は今日まで頑張れたんだぞ。」
寝込んでいる白髪の男は微かにほほ笑んだ様に見えた。
「す、すまん。だが…世話になった。ありが…。」
白髪の男は眠る様に息を引き取った。
「え、栄作~。」
黒髪の男は手を握ったまま泣き崩れた。
俺はアレクサンドル・レイチェル、今、愛する恋人との別れを味わった。一生を添い遂げる者との別れは何度味わっても身を刻むよりも辛い。
そう、俺は不老不死であるが故に何度もこうして人生において苦楽を共にしたパートナーとの別れを味わう。
これで何度目の別れだったか、数十回迄は数えたが、それも何千年も前から数えるのを止めた。俺が地球に来てからもうこの星の暦で二万年は経っている。
元々俺は別の星で産まれ、その星の軍に所属し地球を侵略する目的で仲間を百名程率い地球に来た。
目的は地球を植民地化する事と反乱分子を母星からの本隊が来る前に殲滅させておく事だった。
当時の地球は、一度文明はリセットされ石器時代になっていた。石斧で向かってくる敵に我々は百名程度とはいえ、難なく地球人を殲滅させていった。
だが俺はそんな殺戮の日々に嫌気がさしてしまった。その為仲間に告げずにチームを離れた。
リーダーだった俺が抜けた事でそのチームは戦力が大幅にダウンしたのは勿論だが、
それでも問題無く刃向う地球人を始末出来た筈だった。
だが反乱分子の一人が銀製の斧を持っていた。そして我々の星にはその銀という素材そのものが無かった。その銀と我々の体液が触れると、あっという間に我々の肉体は化学反応を起こし酸化し朽ちて行った。
それから地球人の対応は素早かった。銀製の斧と矢で俺の仲間に捨て身の反撃を開始した。
俺は元の仲間の苦戦を知ってはいたが、仲間を手伝う気にもなれなかった。
結局俺と一緒に来た仲間は地球人に皆殺しにされた筈だ。
だがそんな感傷に浸る間もなく、次々に仲間が殺されている最中に俺は地球に来て最初の恋に落ちていた。
相手は地球人の女性で名をマヨと言った。褐色の肌で黒髪の彼女との暮らしを俺は楽しんだ。
マヨは純粋で実に献身的に俺の面倒をみてくれた。
我々は他の星を侵略しその星の種族の血を吸血する事で老化という恐怖から逃れらる種族だ。
つまり生きる為にその星の人から本人の意思とは無関係に献血を受ける必要があった。その為に我々は常に星々を観察しその文明のレベルと力量を推し量り機をみて侵略していた。
そして侵略者である俺は、本来なら従える筈の地球人の女に恋をしたのだから人生分からない。俺はマヨに生き続ける為に血が必要だと勇気を出して打ち明けると、マヨは何も恐れずにうんと頷いてくれた。一年に一度だけ、性交よりもずっと深い愛の儀式、それが献血であり吸血だった。
その体験を表現するならば、心と体が深い深層意識でつながる感覚というのだろうか。そんな至福の時が吸血なのだ。先程別れた栄作もその血を分けてくれる愛すべきパートナーだった。
日本に来てから二十年以上経つが、栄作は日本でたった一人のパートナーだった。
そう俺はバイだ。
男も女も好みは有るが奇麗な人であればそのどちらも何ら変わりなく愛する事が出来た。また言い方を替えれば女性のみを愛すると決めた時点で数少ないパートナー候補は一気に地球人の半数になる。その方が俺の人生にとってはリスキーだった。
だがドラキュラと聞くとおどろおどろしく感じるかもしれないが、映画で描かれる様に綺麗な女性に牙をむき出して首筋に噛みつく様な行為を俺は無粋だと感じる。また一度だけゲイリー・オールドマン主演のドラキュラ映画を観た事があるが、実際は違うよという突っ込み所満載だったのを覚えているが、悪魔であるかのように描かれている事にショックを覚え、今後あの類の映画は二度と観るもんかと誓ったのを記憶している。
ただ二万年地球で暮らしてきて今更だが、俺は何故こんな長い現生での暮らしをし続けているのか?別に吸血を止めれば今生におさらば出来る。
だがそれをせずに二万年という時をこの地球で過ごしてきた。
だから、その答えを導きだすのがこの地球での生きる目的だと勝手に思っている。ちなみに先程話した我々種族が銀に弱いという話だが、小説や映画で描かれている他の弱点だとニンニクと十字架だが、ニンニクの臭いは嫌いだが、公の場で出されれば付き合いで食べる。好んで食べる訳では無いという事だ。
俺を小説で書いたブラム・ストーカー、彼とは友人だったが、彼は俺がニンニクの臭いが苦手だと言ったその言葉を捉えて膨らませた物だろう。
同様に十字架もそうだ。別に十字架を見せられても何とも思わない。
ただ俺は宗教が苦手だし、キリストにも当時一度会った事があるが、彼の広めた教義を捻じ曲げて人々を統治するのに利用した弟子達が酷く嫌いなだけでキリストそのものが嫌いな訳では決してない。
更に言えば十字架という文様が俺に恐怖を与える事も当然無い。だがこれもブラム・ストーカーにそのキリストの意思が伝わっていない事を伝え、そしてそれを言いながら俺が嘆いている様を彼が適当に脚色しただけだ。
実際に現代の宗教家の多くが過去の人物の言葉を利用し利権を得ている事に異論はなかろう。
さて栄作との別れにいつけじめがつくのか、それこそ神のみぞ知るという奴だが、いつもの様に切り替えるしかない。そう考えると各国を渡り歩きながらバーテンとして生計をたててはいるが、お客さんとの会話は切り替えるのにもってこいだ。
ただ密葬とはいえ栄作の葬式の手配、各種の届け出、しばらく慌ただしく仕事どころではなさそうだ。だが栄作との約二十年間は少なくとも二万年分の二十年ではなく。俺に与えた影響は計り知れなかった。苦しい時もそして喜びの場でも常にあいつが居た。そしてそれが当たり前だった。当たり前…か…。